プルシックは、今年9月3日
14周年を迎えます。
日頃のご愛顧にあらためて心よりお礼申し上げます。
私、所 浩史は東京の洋菓子店での修業後、パリにいた27歳の時、実家の洋菓子店が潰れ家族はバラバラに。
私は帰国後実家の整理を終え、逃げる様に岐阜を離れました。
お金も無く、一旦お菓子の世界から離れたいと言う気持ちにかられ、北軽井沢のペンションに住み込みで働きました。
お菓子を忘れ、料理づくり、掃除、テニスコートの整備、接客に没頭する日々を送りました。
北軽井沢に移って2年目の冬、オーナーからクリスマスケーキを作って欲しいと言われ、日々ローストポークを焼いていたガスオーブンでスポンジを焼き、久しぶりにケーキを作りました。
「所君はお菓子を作っている時が一番楽しそうだね!」とオーナーから言われ、その一言でお菓子の世界に戻る事を決意。
地元岐阜には戻らず、名古屋のお菓子屋さんの立て直しに参加。その後、転職企業展で出会った企業に入社し、パステル恵比寿店に配属されました。
入社3年後なめらかプリンを開発し販売開始。
当初全く売れず、5年目にメディアで取り上げられたのをキッカケに売上は急上昇!
急激な出店に対応するため、毎年製造拠点を開設。
開設立地の選定、レイアウト、開設準備、募集、採用、教育、商品開発、製造現場管理などなど。
国内出張はほぼ毎週、毎月1回は海外出張もありました。
そんな忙しさに引きずられる様な約10年間でした。
おかげで出世もし、社歴で初めて作り手として取締役にもなりました。
ただ、製造現場からどんどん遠のいていく立場に何故か違和感を感じ、このままでは作り手としての鮮度がどんどん削ぎ落とされていくと言う危機感により退社を決意。
パステル退社後、ネット専用高級プリン専門店スイーツマジックが爆発的な大ヒット!
早朝から深夜までお作りしてお送りする、そんな過酷な日々が続きました。
その後、お客様のお顔が見える商売がしたいと言う思いから、スイーツマジックを退社後、株式会社菓子道を設立。
2010年9月、私が49歳と11ヶ月の時、自らの集大成としてプルシックをオーブン。
ベーシックなお菓子をシンプルに極める。
店名プルシックの由来である、
シンプル&ベーシックをコンセプトに、素材、鮮度、製法にとことんこだわったお菓子づくりを貫いてきました。
プルシックを運営しながら、全国の観光地のプリン専門店約30店舗の商品開発のお手伝いもさせて頂きました。
また、企業の経営コンサルタントもさせて頂き、現在も継続中です。
息子は、現在東京の有名ショコラティエの元で修業中です。
先の事はわかりませんが、息子が戻るまでは私なりにチャレンジし続けていたい!そう強く思います。
まだまだ現役で働く為に、まだまだプルシックを進化させていく為に、身勝手ではありますが、一旦立ち止まってすべてを整える時間を頂きます。
お客様には多大なご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんが、更に進化したプルシックとの出会いを、ご期待頂けたら幸いです。
今年8月1日プルシックの新たなステージが始まります!!
☆休業後の情報は、ホームページやSNSで発信させて頂きます。
どうかよろしくお願い申し上げます。